「なにかとてもたいせつなものが損なわれている気がする。
とおいとおいどこかへひとつずつ風に舞って消えてしまうの。
わたしは追えないの。たいせつなものが飛んでいってしまうのを、ただ見ていることしかできない。
つめたい夜に、目を瞑ることしかできない。
そしてね、わたしがいちばん心配なのは、目を瞑ることさえできなくなってしまうことなの。そういう夜が、かならずやってくるのよ。
できなくなるの。涙を流すことさえ、歯をくいしばることさえ、打ちひしがれることさえ。
こわいよ。見るだけはこわい。とてもこわい」
そのとき僕の頭の中には、彼女の言葉の半分くらいしか届いていなかった。茶色い綺麗な左目から、さらりと涙が伝い落ちていて、それに夢中だったんだ。彼女にとっての左目は僕から見れば右にあるんだよなって、頭の片隅で考えていた。