引用、その13

asps2007-03-30

「今度は同意求めてるの?」
「どっちでもいいですよ、そんなこと。
 沢井さんて、学校行ってた頃から、あたしが答えわからなくてもクラスの誰かがわかるんだからいいじゃんって思ってたって、知ってました?
 クラスの一人もわからなくても先生が答え知ってるんだし、何でいちいち生徒に答えさせるんだろうって思ってたんだって言うんですよ。おかしいでしょ?」

 苦しみや悲しみや歓びは一人一人の中で解消されたり解消されそびれたりする心理学的な対象として片づけられる現象なのではなくて、生き物をこの世界と結びつける根源的な力のはずで、それがあるから生き物同士も孤立していない。

 私というのは暫定的に世界を切り取るフレームみたいなもので、だから見るだけでなく見られることも取り込むし、二人で一緒に物や風景を見ればもう一人の視線も取り込む。言葉のやりとりでその視線を取り込むのではなく、視線を取り込むことが言葉の基盤となる。
 白樫の葉が月明かりに小さな光を反射させているのは空からでなければ見ることができないけれど、そういう視界を私は持っていて、それも私がこの場所に固定されているのではなくて暫定的なフレームみたいなものだからだ。

カンバセイション・ピース/保坂和志著/新潮社)