引用、その11

asps2007-01-14

 見ていると、ふたたび月は東の空に上り、しかしこのたびの月はさきほどの新月よりも少しだけ太っていた。そうやって、ものすごい速さで月は上ったり沈んだりしながら満月になり、その後は欠けていった。
「あの月みたいなものか」
「違うわよ」
「違うか」
「だって月はまた新月になるもの」
 茶色い蝶がいくつも飛んできて、少女にとまった。少女は喋りやめ、目を閉じた。蝶は翅を開いたり閉じたりしながら少女にたかり、それからまたどこかに飛んでいった。
 疲れたので、少女の隣に寝そべった。寝そべったまま、上を見ていた。月が上がったり下がったりする空を、大きな獅子が飛んでいった。きん、という獅子の吠え声を聞きながら、少女だったものに接吻をした。それから、すっかり老化して、朽ちていった。

(蛇を踏む/川上弘美著/文春文庫)