静かな気持ち
「袋小路の男」を読んだ。はてのない、おぼれるほどの、しずかで、たからものみたいな、片想いの話。こんなに不幸なことも、こんなに幸せなことも、こんなに一方的で、ひとりよがりで、自分で自分を縛るようなことも、他にないんじゃないかしらって。世界が終わってもいいぐらいの喜びを感じることも、隣に座っただけで胸がどきどきするようなことも、他にないんだろうに。
端から端まで思い込みで、二つの思いが交差しないところが、私には、キラキラ輝いているように見える。
カウンター席であなたがシェーカーを振ったり、きれいな手でライムをスライスするのを見ながら、空白の期間、どうして私はここへ来なかったのだろうと考えた。あなたに会うかもしれないことは会えないことよりも怖かったのかもしれない。
反省、反省
悪いことをしたなあ、と思うのです。
自分のなかで、してはいけないと思うことを、ひさしぶりにしてしまった。
だめだあ、だめだあ、運が悪かった、自分が悪かった、
でも自分はがんばった、わるくないよと、言ってくれる人がいて、言ってあげる自分もいて、
もうごちゃまぜになりながら、夜をねむり、あさになり、絵を描いたのです。
よるがくる、よるがくる、
私は愛していて、愛されたくて、だめだなあ、と思うのです。
でもそれは、素直な、弱くて強い感情で、だからそれは、いいこいいこと、なぐさめてもらいたがっている。
いいこいいこと、ほぐしてあげて、この手で、あの光で、あのおいしい食べ物で、あのきれいな緑で、あの美しい水のつめたさで、
ひんやり、ぽかぽか、だいじょうぶ、
まだずっと、だいじょうぶだよ。
誰かのあたたかさは、本当に必要なものなんだと、思った夜がきたのでした。
そして、朝になって、絵を描いて、音楽を聴いていたら、
そうだまだ、これはチャンスであって、これは成長であって、謙虚への戒めであり、
謙虚にいくこと、自分は完璧じゃないこと、当たり前のことに、心をほぐせばいいのだと、思ったのでした。
(「プレゼント」、「太陽」/BUMP OF CHIKEN)
こんにちは地球
流線形の日々を過ごしています。
ひとはひとりと思ったり、おいしいお肉を食べたり、夜風が気持ちよく感じたりしていました。
最近は音楽と笑顔とお風呂と太陽に救われています。
やなことあっても、ストレス溜まっても、るんたるんた、生きて生きたい。
たとえば、夜のビアガーデンで、たとえば、あの娘の笑顔で、何度となく救われる。
永遠に、ひとりだけれども、永遠に、この世界を、愛している。
風呂場で
窓の外のひかりだけ
青いホースや滴が照らされて
さみしい
いつまでも居座り続ける
その欠片の想いが
ちいさき存在が
どうしようもなく愛しく思えた。
式日をまつ
コラーゲン鍋
わくわくを
とじこめて。
いましかできないことを
みなとみらいの観覧車から
お台場の観覧車に会いに
てくてく歩いて、行ってきました。
夜九時十五分に出発して、翌朝九時二十分に着きました。
出会えた瞬間の喜びと、
そのあとお日様を浴びながら寝転んだときの気もちよさったらなかった。
足の疲れや、夜の寒さや、朝の高揚や、太陽の温かさ、すべてが、ひしひしと体に伝わってきて、それはそれは、意味のある十二時間だった。
お台場の観覧車さんは、もうすぐ引退してしまう。
あのカラフルで、ご機嫌な観覧車が見られなくなるのは、かなしいなあ。
朝十時すぎ、あすこから見る海は、きらきらまぶしく輝いていた。